何か良いことをすれば、隠された利己的な動機があるはずだと人に責められるだろう。それでもなお、良いことをしなさい。By ケント・M・キース」
今回の震災への寄付で、ネットやメディアで著名人の大口の寄付が出るときに、「売名行為なのか」「偽善じゃないのか」という声が出たりします。
この議論についても、今回の震災でずいぶんと様子が変わってきたなという印象があります。
結論的にいうと、
「売名でも、偽善でも、やらないより、やるほうがいい」
という意見がすごく多いなという印象です。
私も、そう思いますし、このところが、また少し社会の変化が生まれてきたかなと思います。
いろんな意見を見ていると
「メディアに大口寄付者として出ているような著名人は、もう売名行為、する必要がないくらい名前が売れているじゃない。だから、「米名行為」というレッテル貼りはもうやめるべき」
「著名人でないと、寄付を集めたり、チャリティ―コンサートもできない。その力を最大限活かして支援を集めて欲しい」
というような意見って結構ある。
結果として、支援者への支援は集まるのは事実ですし、今回の被災状況をみると、いくら支援があっても、ありすぎることはないともいえます。
この議論、阪神淡路大震災のときにも、多くのボランティアが出て、「ボランティアなんて所詮、偽善だ」という意見もたくさんありましたが、その後、どんどん日本社会に定着していきました。
何事も、やる人のほうが、時代の主流になっていくということなのかもしれません。
ただ、「大口寄付ばかりに注目が集まって、頑張ってこづかいから5000円を寄付した子どもより、その人の方がスゴイみたいに言われるのはどうか」というようなご意見もあります。
寄付は、大きい金額だろうと、少ない金額だろうと、大切な行為です。こうしたひとつひとつのストーリーを是非、メディアも取り上げてほしいし、私たちも拾っていきたいと思います。
しかし、影響力のある個人が行動することで、社会的インパクトが生まれていくのも事実ですよね。このバランスですね。
今回の震災への寄付で、ネットやメディアで著名人の大口の寄付が出るときに、「売名行為なのか」「偽善じゃないのか」という声が出たりします。
この議論についても、今回の震災でずいぶんと様子が変わってきたなという印象があります。
結論的にいうと、
「売名でも、偽善でも、やらないより、やるほうがいい」
という意見がすごく多いなという印象です。
私も、そう思いますし、このところが、また少し社会の変化が生まれてきたかなと思います。
いろんな意見を見ていると
「メディアに大口寄付者として出ているような著名人は、もう売名行為、する必要がないくらい名前が売れているじゃない。だから、「米名行為」というレッテル貼りはもうやめるべき」
「著名人でないと、寄付を集めたり、チャリティ―コンサートもできない。その力を最大限活かして支援を集めて欲しい」
というような意見って結構ある。
結果として、支援者への支援は集まるのは事実ですし、今回の被災状況をみると、いくら支援があっても、ありすぎることはないともいえます。
この議論、阪神淡路大震災のときにも、多くのボランティアが出て、「ボランティアなんて所詮、偽善だ」という意見もたくさんありましたが、その後、どんどん日本社会に定着していきました。
何事も、やる人のほうが、時代の主流になっていくということなのかもしれません。
ただ、「大口寄付ばかりに注目が集まって、頑張ってこづかいから5000円を寄付した子どもより、その人の方がスゴイみたいに言われるのはどうか」というようなご意見もあります。
寄付は、大きい金額だろうと、少ない金額だろうと、大切な行為です。こうしたひとつひとつのストーリーを是非、メディアも取り上げてほしいし、私たちも拾っていきたいと思います。
しかし、影響力のある個人が行動することで、社会的インパクトが生まれていくのも事実ですよね。このバランスですね。

コメント
コメント一覧 (1)
寄付について語ると、日本ではすぐに「偽善だ」という場の空気が流れてしまうように感じます。「動機はどうであれ、行為に意味がある」という意見には私も一つ賛成です。そのほかに、私はそもそも人間って利己的な存在じゃないの?という反省から出発して、その利己的な自分の自我を少しでも減らしていく手段の一つとして、「寄付」があってもよいのではないかなと思っています。社会への投資としての寄付という捉え方に違和感を感じてしまう方には、自我を減らす手段としての寄付という自己修練・自己啓発的な捉え方でアプローチしていくのも効果的なのかなと思案しているところです。