国際協力NGOのファンドレイジングの主要ツールのひとつに、「里親」型の支援プログラムがあります。寄付者が、途上国の一人の子どもを支援するというコンセプトで、その子の顔写真とかが送られてきて、「ああ、寄付したお金はこの子の成長にいかされているのね」というのが実感できるような仕立てとなっている支援プログラムです。フォスタープランが国際的にも代表的なNGOですが、実に多くのNGOがこのプログラムを導入しています。
このプログラムは、自分の支援の受益者が具体的な個人として実感できるところがミソです。ミッション系の学校なんかでも、道徳教育の一環で、クラスで一人の子供を支援するようにしてたりします(私の中学もそうでした)。
私は、ファンドレイジングの観点からは、日本社会では特にこのアプローチは効果的であるという印象を持っています。
かつての国連高等難民高等弁務官として、UNHCRという国際機関のトップを努め、長年、世界中の難民問題解決に尽力していた緒方貞子さんは、数年前、新聞社のインタビューにこたえて、「欧米の国際協力は理念から入るけど、アジアの国際協力は顔を見てから始まる国際協力」であると断言していました。
私も同感で、我々日本人には、どうも、知ってる人、仲間や親族はほっとけないという感情(もともと農耕民族でムラ意識が強いからでしょうか)は強くあるんですが、「人権(環境でも、貧困削減でも)は普遍的に重要であるから」というような理念的テーマでは、いまひとつ動きにくいというところがないでしょうか? 実際にNPOに関わっている人や寄付している方々のなかにも、「事務局長(理事)や受益者との過去の繋がりや縁」が寄付のモチベーションとなるケースは結構あるように思います。
そのため、マス・ターゲットを対象としたファンドレイジングでは、いかに具体的な支援の受益者と寄付者とのリンケージ(受益者を自分のムラの一員(=繋がりのある人)として)を寄付者にイメージさせられるかというのは、日本においては特にファンドレイジング成功のための重要な要素であると思います。
ちなみに、里親支援制度についても、寄付金は、その子供だけのために使われるのではなく、その子の属するコミュニティなりの全般的な改善のために使われる訳ですので、「見せ方」というのはとても重要な気がします。
このプログラムは、自分の支援の受益者が具体的な個人として実感できるところがミソです。ミッション系の学校なんかでも、道徳教育の一環で、クラスで一人の子供を支援するようにしてたりします(私の中学もそうでした)。
私は、ファンドレイジングの観点からは、日本社会では特にこのアプローチは効果的であるという印象を持っています。
かつての国連高等難民高等弁務官として、UNHCRという国際機関のトップを努め、長年、世界中の難民問題解決に尽力していた緒方貞子さんは、数年前、新聞社のインタビューにこたえて、「欧米の国際協力は理念から入るけど、アジアの国際協力は顔を見てから始まる国際協力」であると断言していました。
私も同感で、我々日本人には、どうも、知ってる人、仲間や親族はほっとけないという感情(もともと農耕民族でムラ意識が強いからでしょうか)は強くあるんですが、「人権(環境でも、貧困削減でも)は普遍的に重要であるから」というような理念的テーマでは、いまひとつ動きにくいというところがないでしょうか? 実際にNPOに関わっている人や寄付している方々のなかにも、「事務局長(理事)や受益者との過去の繋がりや縁」が寄付のモチベーションとなるケースは結構あるように思います。
そのため、マス・ターゲットを対象としたファンドレイジングでは、いかに具体的な支援の受益者と寄付者とのリンケージ(受益者を自分のムラの一員(=繋がりのある人)として)を寄付者にイメージさせられるかというのは、日本においては特にファンドレイジング成功のための重要な要素であると思います。
ちなみに、里親支援制度についても、寄付金は、その子供だけのために使われるのではなく、その子の属するコミュニティなりの全般的な改善のために使われる訳ですので、「見せ方」というのはとても重要な気がします。
