ファンドレイジング道場

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カテゴリ: 日本の寄付のハイライト

大阪は江戸時代に入って、江戸へ行政の中心が移る中で、武士が1割に満たなくなり、かなり自由な商人中心の社会になっていきます。このブログでも紹介しましたが、その中で、多くの橋が商人自身によって建設されるといったことが起こります。

このムーブメント、「一建立(いっこんりゅう)」というのですが、大阪商人の中に、寄付して橋をつくったり建物を建てたりすることがカッコイイという気風が広がります。

こうした取組をする人が、「有徳人」と呼ばれていたようです。

その流れを受けて1717年に合翠堂、1724年に懐徳堂という学校が有力町人の手で設立されます。

これって、当時はまだ学校というのは幕府や藩が作るものが中心であった中、商学と儒教を体系的に学べる専門学校として非常に強い目的意識を持って設立されている(いわばエリート校)のが、通常の寺子屋とは違うところかもしれません。

いわば、ハーバードビジネススクールですね。
ちなみに、ハーバードは1636年に設立されています。メイフラワー号が到着してたった16年後のことです。それだけ、「リーダーの育成」が重要だという意識が移民たちの間にあったのだと思います。

日本でも、1700年代前半には、こうしたリーダー養成校が自然と出てきていることが興味深いところです。

この「日本版ハーバード」は、創立興成員(いわば正会員)と助力生員(賛助会員)という有力町人の支援者による寄付で運営されていました。

実に、江戸時代、155年もこの学校は運営されてきたのです。

この学校、スゴイのは、伝統的な相互扶助だけじゃなくて、地域の貧困層へのフィランソロピー活動を授業で教えていたこと。しかも、実際に基金を創って、天災や飢饉のときに貧困者救済ができるように寄付を集めていたということにあります。

ものすごく現代的で、社会メカニズムに対して具体的アプローチをする、世界的にも優れたリーダー養成校だったんですよね。

それじゃあ、この、「日本版ハーバードはどうなったの?」
と思いますよね。

明治5年の学区改正で廃止されちゃうんですね。

行政が中央集権で統一的な教育をすることになって、
これだけ積み重ねのある、民が民を支える仕組みを、中央で接収しちゃうんですよね。

重ねがさねおしい。

もし、この伝統が続いていたら、日本の教育システムも寄付の文化も変わってたかもなあ。

日本の寄付の歴史を振り返ると、いろいろと素敵な人たちが出てきます。

たしかに、欧米とは全く違った発展経緯をたどっている日本のフィランソロピーですが、深く考えていくと面白いなあと感じています。

日本のこれからの社会的発展の本質に、やはり寄付というものをどう位置付けるかということが横たわっている。

つまり、これって、日本社会そのものの発展モデルへのパラダイムシフトなんだと思います。

さてさて、まずは「歴史に学ぶ」ということでみてみますと、

室町時代、「京の三大長者」といわれる豪商が行った社会貢献活動があります。
日本社会でも商人が少しづつ資本蓄積に成功しはじめ、港湾整備や学問振興、芸術保護などに役割を果たし始めます。それも、やはり京都を中心とした近畿エリアが中心であったようです。

その中でも角倉素庵は、イタリア・ルネッサンスの保護者として名高い、メディチ家のロレンツォにも匹敵するメセナ活動家であったという評価があります(伊木1993)

室町時代というと、1300年から1600年くらいの間です。そのころにもこうした動きがあったのに、どうしてそれが健全に発展していかなかったのか。(実はある程度まで発展していくのですが、明治時代にやはり流れが変わっている)

興味深いところです。


江戸といえば八百八町。

大阪といえば八百八橋といわれます。

実際には、江戸時代、200前後の橋が大阪の三郷にはあったようですが、大阪といえば、川と橋のイメージだったんですね。

そうした中で、この橋を誰が創ったのかというお話があります。

大阪城近くの12の橋は当時の徳川幕府が直接お金を出して建築した「公儀橋」といわれるものですが、それ以外は、有力商人や町がお金を出し合って作ったんですよね。

こうした橋を、当時は、[町橋」といっていたそうです。

こうした「町橋」がすごく多いのが、大阪の特徴です。

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