福沢諭吉っているじゃないですか?

学問のススメで有名な。

あの方、もうひとつスゴイ本書いてはるんですよね

「文明論の概略」という本。

この中で、福沢諭吉さん、私徳、公徳、私智、公智ということをおっしゃってます。

簡単に言うと

私徳・・・自分で律儀でいようとか、謙虚でいようとかという徳

公徳・・・勇敢であるとか、公平であるとか、外部との交わりの中での徳

私智・・・何か自分で極める智、スキルを高めたり、仕事に通じる知識を得たり

公智・・・社会全体の能力としての智。システムとかメカニズムとかが変わっていくものとしての智

ということなんですが、この中で、徳よりも智が大事で、私より公が大事だと。

慶応大学もこの「公智」を生みだす人材を育てる機能として立ち上げたということですね。

しかし、当時も社会にはほとんど理解されなかったと。

そこには、「社会」という概念が日本で育っていなかったことがあるのではないかという見方があります。

つまり、明治維新を経て、日本社会は、「国」という概念を急速に育てたわけですが、その対極として「私」があり、その中間点にある「社会」という概念が育ってこなかった。「私」には、家族とか職場とか、学校とかの単位もはいります。

そのため、「国」といいながらも、実質は、役所単位の「私」ごとの「公」が言われるようになってしまうということです。

結局、明治初期の福沢諭吉さんの目指した世界観である、「公智」が社会で尊ばれ、それが進むように社会が努力する状態は、130年たっても実現していない。

一人ひとりはしっかりした人がいても、企業単位ではいい仕事ができていても、社会メカニズムを創るという段階になると、なかなかうまくいかない。兵隊は強いのに戦略が弱い。現場は強くても経営が弱いのも同じ理屈です。

福沢さんがみたら、結構がっかりするかも。

では、国際的にこの「公智」はどうやったら生まれるのか。

この「公智」は国家を超えているし、ここの企業や組織を超えていかないと生まれないものです。例えば環境という社会的課題の公智は、日本という国家だけの課題ではないし、障害者福祉も国家も企業も超えた枠組みで公智を生みださないといけない。

実は、原子力発電の問題にしても、「公智」として社会メカニズムをどうするかという議論を国という単位と企業という単位だけで思考することの限界を示しているともいえます。

そこで、世界共通の概念は、それを国でも企業でもない第三軸を育てることで、「公智」を生みだすメカニズムを社会化してきたわけです。だから、社会は発展する。進化する。

日本は、個人や企業などの現場単位では、素晴らしい「私智」があるのに、社会メカニズムというレベルになるととたんに国際的に負けたりしてしまうのは、この「公智」を生みだす仕組みが弱すぎるからなんだと思います。

これを生みだす仕組み、これは民間非営利セクターでありつづけた。

それを支えるのが、行政補助金では、やはり、「公智」が生まれにくい。どうしても「省庁」という「特定の利害のある私」にからめられてしまうので。

だからこそ、寄付という、民から民を支える仕組みが、日本という「社会」を生みだすのに必要なのだと思います。

福沢諭吉が思った夢を、130年を経て、2020年、日本社会に実現したい。

公智がどんどん生まれる社会。
それが人々の幸せであり、日本の経済の発展であり、国際社会への価値の提供を生みだす社会。

これが2020年、寄付10兆円時代の目指す日本社会です。