スリランカに出張に来ています。

スリランカって長年内戦があった社会です。最近、一応終結して、なんとか平和な社会になった。

でも、この社会、政府とNGOとの関係って必ずしも良くないんですよね。

政府は、国内NGOが、反政府組織のレジスタンス活動に同情的であったという見方をしていることもあって、NGO=反政府組織的な見方をする人が結構いる。

そういう中で、大手老舗は、普通のNGOから見ると、政府とうまくやっていて、「あいつら、政府の手先だ」というような見方もあったりする。

なかなか微妙なところです。

アジアの国って、それぞれで、かつて私が働いていたインドネシアでもこんなことがありました。


私が赴任した1999年って、32年間(!)も続いたスハルト政権が退陣した直後で、32年ぶりの自由な総選挙があったりして、混乱と活気にあふれた年でした。

しかし、「社会のNGOに対する見方」というのは、なかなか簡単には変わらない。

スハルト大統領時代には自由なNGO活動は抑制されていたので、大手NGOというと、スハルト・ファミリーの息がかかった、マネーロンダリング機関みたいに思われていたり。

逆に、草の根的なNGOは打倒スハルト政権でデモをやったり暴動したりする過激なNGOというイメージついたり。

どっちにしても、一般市民の生活に役立つ感じがしないのか、「NGOってなんだかイマイチな感じ」というのが、私が赴任したときの若い子たちや普通の社会の人の反応だった気がします。

その後、いろんな変遷を経て、インドネシアのNGOの社会認知はどんどん変わっていくのですが、一言でNGOといっても、社会が実体験として持っている印象が、相当影響するんだなと感じたところはあります。

欧米社会から来る人の中には、ある意味、長年の蓄積の中で、「NGOって当然こういうもんだし、社会もそう認識するのは、あたりまえでしょ」というような前提認識を持ってくる方もいます。

しかし、アジアを見ていると、本当に各国の状況が違う。いわば「社会が共有する歴史体験」のようなものが、NGOという存在の意味を形作っていて、いくら論理的・理念的な議論をしても、なかなか変わらないというところがあります。

NGO側は、では、この状況にどう対応することが求められるのでしょうか?

私は、「社会から自分たちの活動への支援を求める」という一点に尽きると思います。

ファンドレイジングするということです。

インドネシアでは、スハルト退陣後、欧米の援助機関が大量のマネーを新しく生まれたインドネシアの現地NGOに流しました。政府が汚職にまみれて信用できなかったので、仕方なかった側面もありますが、その結果、1年で3000以上のNGOが生まれ、新卒で企業に就職するよりNGOに就職したほうが7倍給料がもらえるといった、「NGOバブル」が生じたわけです。

しかし、そのことは、短期的には、地域社会から、インドネシアの現地NGOが乖離してしまうという現象を生みました。結局、インドネシアの人たちに活動を理解してもらうより、プロポーザル1枚書いた方が早いよねということになった。

その結果、インドネシアNGOは一時期、「国際機関の下請け」「CIAの手先」「No Action Talk Only(NATO)」といった批判を数多く受け、ますます「イケてないよね」と言われる時期を迎えます。

そうした中、良識的かつ先駆的なNGOリーダーたちは、自分たちが自分たちの信じるミッションを達成するために社会としっかりコミュニケーションし、自己財源を得ていくことの重要性を発信しはじめます。ターニングポイントは、2001年のバリでのリソース・アライアンス主催の国際会議でした。

多くのNGOが社会を巻き込むことで、社会から信頼を得て、いつしか「頼りになるのはNGOだよね」となる。それは、政治家の大物を巻き込むとか、企業のトップがどうとかということではなく、社会の「空気」を醸成していく作業なんだと思います。