今、インドネシアのマカッサルという町にいます。

先週末から、インドネシアのマルク諸島にあるアンボン島に調査で入っていて、ホテルにもインターネットがまったくないところでしたので、アップができずにいました。(部屋に電話も無いホテルでした・・)

そこから、今日、マカッサルという、大きな町に出てきて、今、ホテルでこの文章を書いています。

私が調査で入っていたアンボン島というところは、昔、オランダの植民地時代の拠点のひとつで、イスラム教が国教であるインドネシアでは珍しく、イスラム教徒とキリスト教徒が混在している島です。

かつては、観光客も多く、エキゾチックな雰囲気のある、南洋の島として有名でしたが、99年ごろから、キリスト教徒とイスラム教徒が殺しあうという、凄惨な紛争が数年間続く島となってしまいました。

小さな島なんですが、結局、亡くなった方はマルク州、北マルク州全体で5000人とも7000人ともいわれており、国内避難民も34万人にのぼったという、とても恐ろしい歴史を経てきた島です。アンボン市内の大半の家屋も焼失してしまうほどの激しい紛争でした。

私も、かつてインドネシアに駐在していた時代、この凄惨な紛争が連日地元新聞紙上を賑わしていました。インドネシアに援助する仕事に携わっていながら、この紛争に何も手を出すことができない国際社会の無力さをとても感じさせられたことを思い起こします。

今回、現地に入って、村人やNGO、政府関係者たちからヒヤリングを重ねるなかで、何よりも驚かされたのが、関係者や住民の努力によって、驚くほどの安定が取り戻されていること、そして、99年以前は平穏で安定した社会が、貧困や経済格差といったもののもつ潜在的なフラストレーションを外部の扇動者に利用されて、あれだけ急激に紛争に陥るということの恐ろしさについてでした。

スハルト政権時代、インドネシア社会では、市民活動やNPOの活動というのは著しく制限され、行政主導のタテ型社会を構築していました。効率性重視の経済政策は、どうしても貧富の差を拡大する側面があったように思います。そして、地域社会での「第三の力」であるNPOがスハルト政権の32年間の治世の中では基本的に認められてこなかったという社会では、開発や分配のアクターは、行政と国際的な援助機関だけであったという側面があります。

こうした住民間紛争を発展させないためには、様々な政治的要因もありますが、やはり、地域社会をつなぎ、社会の持つ「弾力性」を高めるうえで、NPOや学校などを拠点とした、複合的な地域社会関係の存在が、とても重要なんだなと感じました。

今、援助機関やNPOなども協力しながら、学校行事や地域でのイベントを企画し、そこにイスラムもキリスト教徒もともに参加するというようなプロセスを通じて、自然に交流が深まり、和解が進むような取り組みが進められています。

今回のアンボン出張で感じたことは、NPOが生き生きと活躍する社会って、やはり、社会に「弾力性」を生むんだということです。いろいろな複合的な人間関係や、柔軟性のある「場」づくり、他者への思いやりや理解をはぐくむ機会、そうしたものを生み出すのがNPOの本来持つ力なんだと思います。

アンボンでの犠牲者も、NPOが地域社会に根付くことが許されていたなら、もっと少なくてすんだと思います。

そんなことを考えたアンボン出張でした。