アンドリュー・カーネギーという方をご存知でしょうか?

カーネギー鉄鋼という会社を創業し(後にUSスティールとなります)、巨万の富を得た方ですが、彼自身、事業で成功した後に様々な慈善活動を行ったことで有名です。

カーネギー氏は著書『富の福音』のなかで、

「裕福な人はその富を浪費するよりも、社会がより豊かになるために使うべきだ。」と述べてます。

更に彼は、

「富を持って死ぬことは不名誉である」

という有名な言葉を残しています。彼はこの信条のもと、生前中に様々な慈善活動に資産を投じたことで有名です。
カーネギー財団は、今なお、アメリカ社会で高い評価と尊敬を勝ち得ている財団であると思います。

こうした方の話を聞くたびに、考えさせられてしまいます。

日本では、69%の人が資産は遺産相続として子供に残すと回答しています。他方で、日本でもかねてから、「三代続けば資産がなくなる」というようなことがいわれています。あるアメリカの統計では、資産家の相続資産の65%は2代目でなくなり、3代目では90%がなくなってしまうそうです。それでもなお、子供への遺産相続のために貯蓄にはげむことだけが人生の意味なのでしょうか。

かつて、日本のある大変なお金持ちが、所有するゴッホの絵を、自分の葬儀に際して一緒に燃やして欲しいと遺言したとかで、社会問題となりました。エジプトのピラミッド時代には確かに、金銀財宝を一緒にあの世に持っていこうということも許されていたのかもしれませんが、あまりに公共性の無い成金趣味的な発想に、同じ日本人として大変恥ずかしい思いをしたことを思い出します。

これは極端な例ですが、現代社会にあって、個人や家族の利己性をどこまで追求し、社会の公益性をどの時点から考えるかは、確かに人間としての尊厳・品格にかかわるところなのかもしれません。

少なくとも、世界の「共通語」としては、個人や自分の家族だけの利己性を追及する人が尊敬を勝ち得るということはなかなか難しいという価値観は共有されているように思います。これは、キリスト教社会でも、仏教社会でも、イスラム教社会でも同じだと思います。

そう考えると、日本の富裕層の社会貢献は、もっとあっても良いのではという気がどうしてもしてしまいますね。